【別大のちから】
最近 何かと大分出身の方にお会いする。
私は過去の栄光で20年以上前に一度だけ別府大分毎日マラソンを走った。
(中山と森下がデッドヒートした翌年)
その事を伝えると、
“えーっ”と相手の方の目の色が変わる。
“私、高校の時、補助員やっていました。”
5km毎に高校生がゼッケンの確認のために
一緒に走ってくれていたのを思い出しました。
大分の方にとって、別大は特別の思いがある様子だ。
もちろん私にもある。
大阪である程度速いと思っていたら、
スタートする競技場には600人もの日本人がいてたまげたこと。
スタートしたら人の河のようにダーッて、流されて流されて、
いまだに5km、10kmのベストタイムが別大でのラップであること。
つぶれながらも2時間48分でゴールしたのに
ゴール前の舞鶴橋で毎日新聞の旗が片付け始められていたこと。
いろいろな意味で印象深い別大でした。
また走ってみたいなあ。