【スーパーのおっちゃんとバナナについて話す】
昨日の朝、おっちゃんが古いバナナをよけて
新しいバナナを棚に出していた。
“おはようございます。”
と私がよけてあった古いバナナをかごに入れると、
“新しいの持って行き。”
“いや、バナナは古い方がおいしいから。”
“そやな、2,3日おいといた方がおいしいな。”
“新しすぎたら竹食べてるみたいやん。”
“たしかにそうや。”
私もバナナとリンゴについては語れるようになったわ。
あたりを見回すと、
みかん、オレンジ、キウイ、スイカ、ブドウから
白菜、キャベツ、きゅうり、しいたけ、アスパラガスまで
それぞれ一品ごとにいくらでも語れるうんちくが詰まっているのだろうなあ。
それが野菜だけではなくて肉や魚や貝からカレーのルーまで
それぞれに生産者の方の想いが詰まっていることを考えたら、
この世の中も捨てたもんじゃないなあと、
皆誇りを持って送り出してもらった子ども達だと、
私の想像力もなんかパワーが出てきました。
想像力を豊かにすると、なんかうれしくなっちゃいますね。
そんなことを考えていたら
昨夜のスーパー、見切り品で黒くなったバナナが20本くらい山盛りで
50円で売っていた。 それも10パックくらい。
私のリュックサックに週を越えられないバナナ4本が入っていたので
見送ったが、今思えば、買って帰って冷凍バナナにすればよかったかな。
ゴージャスにジュースにしてもよかったかもしれない。
そんなことを考えながら帰りの電車で
「木の教え」塩野米松
を読んでいました。
これも木について、ほにゃほにゃとうんちくを語っているのですが、
最後の方に【親】の話が出てきた。
大昔、
“親っていう字は木の上に立って見るって書くねんで。”
という話を書いたが、
http://tomonisodatsu.com/archives/1095
毎日木を見ている人は言うことが違う
「親という字は、立木を見せると書くじゃないか。親は子供を森や山に連れて
いって、木がどう生きているのか、木が私たちに何を教えてくれるか、
話してやらねばならないよ。それが親ですよ。」 202ページ
私は息子に立木を見せて語れることがないよ、と思いました。
木の上に立って見る、ほうが忍者っぽいし、私に合ってる。
なぜかいつも忍者が頭の片隅にいるのは私だけなのかな、親父とか、弟達は
なんか思っているのだろうか。今度集まった時に訊いてみよう。
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